「病院から家に帰るまでの間に、呼吸が止まるかもしれませんよ」
病院の主治医はそう夫に伝えた。
長年連れ添った夫は、迷うことなく言った。
「覚悟はしています。それでも、家に連れて帰りたいです。」
そこから、女性と家族、そして私たちの在宅医療が始まった。
——
医師・看護師・ケアマネジャーが、自宅で退院してきた本人と家族を迎えた。
すでに意識はなかった。私は、この関わりが短いものになるかもしれないと覚悟した。
数日後、再び訪問した。目を開けることはなかったが、表情は驚くほど穏やかだった。
ふとベッドサイドを見ると、満開の花畑で笑う夫婦の写真が飾られていた。
思わず尋ねた。
「去年の写真ですか?」
夫は少し照れたように笑いながら答えた。
「昨日、連れて行ったんですよ。目をしっかり開けられたから。
そしたら、自分でピースまでして。いい写真でしょ?……神様が時間をくれたんです」
驚いて、もう一度写真を見た。
日付は確かに昨日。満開の花、満面の笑顔。すぐには状況を飲み込めなかった。
その後、彼女はふと目を開け、ほほ笑んだ。
それからは、まるで世界の光をひとつずつ大切に味わうように、時おり目を開けては、自宅や家族、見舞いに訪れる友人たちを穏やかな目で見つめ日々を過ごされた。
しばらくして、彼女は静かに旅立った。
最期まであの写真のように、穏やかな表情だった。
お看取りの場にいた夫は、涙を浮かべながらも、どこか晴れやかな顔をしていた。あの花畑の写真のように。
医療の現場では、ときに医学では説明のつかない出来事が起きる。
「奇跡」という言葉では足りない、
「科学」では割り切れない、
そんな「神様がくれた時間」を、今日も私たちはどこかで祈りながら、医療を続けている。
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―― ある在宅医療のおうち物語
※プライバシー保護のため、時系列や一部内容を変更しています。